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ヒナ その後

先日、うちの家のテラスに、雀のヒナが死んでいて可哀想だったお話を書きました。
その続きです。

私は急いで仕事に行かなければならなかったので、主人にヒナの亡骸を埋めてもらうように頼みました。
そのままテラスに放置して、猫やカラスに食べられたりしたら可哀想だからです。

夜10時過ぎに帰宅し、「ヒナを埋めてくれた?」と尋ねると、「埋めてないよ。移動はしたけど」との答えが返ってきました(°□°;)

「え?
『移動はしたけど、埋めてない』ってどういうこと?(◎o◎)」
と尋ねたのですが、主人はそれには答えず、寝てしまいました。

一体、どうなっているんだろう!?
ヒナの亡骸は、どこにあるんだろう!?

翌朝は1限から大学の手話通訳があり、それから市役所で手話講習会の指導をしているときに三鷹市内に雹(ひょう)が降り、ズブ濡れになりながら再び大学に戻って5限の手話通訳をした日でした。

たくさんの方から、雹(ひょう)を心配したメールをいただき、お返事をしているうちに、可哀想なヒナのことを忘れてしまいました(*_*)

翌日の水曜日の朝、仕事に行く前に急いで洗濯物を干しました。

テラスに降りたとき、
「そう言えば、可哀想なヒナの亡骸は、どこにいったのだろう!?」
と気になりました(?_?)

ウチのテラスはコンクリートを流してあり、土がありません。でもプランターがあり、その中には土があるので、そこに埋めてもらおうと思っていたのですが、そこに埋めてないとすると、一体どこ?

ふとプランターの横を見ると、空の鉢があり、前日の雹(ひょう)と大雨のために鉢に水がいっぱいになっていました。そして、なんとそこにヒナが浮いていました(°□°;)

「ここにいたのね…」
つぶらな目を開き、口ばしをあけたヒナを見ていると、不憫な気持ちでいっぱいになりました。

それと同時に、「すぐ隣りにプランターがあるのに、どうして土に埋めてあげずに鉢の中に捨てたんだろう!」と怒りが湧いてきました。

動物の亡骸を不憫に思う感情を、アスペルガー症候群の人に求めちゃいけないのかなぁ…

そう思っていたとき…
皆さんには「思い過ごし」だって笑われちゃうかもしれないですけど、
「たこちゃん、助けて」
というヒナの声が聞こえた気がしたんです。

それで、ハッと我に返り
「そうだよね。こんなところで水に浸かったまま、身体をさらしているのは、イヤだよね。可哀想な思いをさせて、ゴメンね」

そう言ってプランターの土を掘り、ヒナを埋めてあげました。

数年前、テレビで放送されていた人気ドラマに「臨場」という番組がありました。母も大好きだったドラマです。

内野聖陽さん演じる主人公は、警察の鑑識に勤めています。

必死になって手がかりを探すときに、
「死者の声を拾う」
とか
「まだ、死者の声を拾えてねぇ!」
という言葉が出てきたように記憶しています。

私、思い過ごしかもしれませんが、その気持ちがわかるんです。

4月29日に、母、祖父、祖母、叔母を一緒に納骨しました。
母と叔母が苦労を知らなかったときの家族に、戻してあげたかったからです。

納骨の前夜、母の部屋で母の写真を見ていたら、
「たこちゃん、ありがとう」
という母の声が聞こえて、思わず泣きました。

生きていても、亡くなっていても、人間でも、動物でも、心はつながっているんだと思うんです。

そして、心を穏やかにして耳をすませば、自分に語りかけたいと思ってくれている相手の声が、心の耳に届いてくる気がします。

そんなことを思いながら、プランターに埋めたヒナに、
「可哀想だったね。
天国に行って、神様に幸せにしていただきなさいね」
と語りかけました。

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