4月28日に母が急逝して以来、本当に多くの方々から優しい励ましのお言葉をいただき、本当に感謝しています。
今日も午前中、2人の友人が心配して電話をくれました。本当に感謝です。
友人から温かい励ましの言葉をもらってから、仕事の研修に行きました。
少人数の実践的な研修でした。ちょっと緊張しましたが、良い勉強になりましたし、改めて手話をやってきて良かったなぁと思いました。
仕事や研修のときは集中しているから良いのですが、一番辛いのは帰り道です。
前にもブログに書きましたが、私は以前から仕事が終わると必ず母に電話を入れていました。
それは手話通訳士になってからだけではなく、以前日本語教師として、アリアンツ海上火災保険株式会社のドイツ人の社長さんに日本語を教えていたときからずーっとです。
「もしもし、ひろこちゃん? 今、仕事終わった!」
と電話すると、
「うわぁい、たこちゃんだぁ!」
と、子どものようにはしゃぐ母の懐かしい声が聞こえてくるようです。
ですから、もう電話する必要のなくなってしまった帰り道が一番ツラいです。
いつも途中のビルのお手洗いで声を押し殺して泣いて、スッキリしてから帰ります。
我ながら情けないと思いますが、仕方がありませんね(>_<)
こんな私ですが、息子の前ではメソメソしないと決めています!
息子の前では、いつも笑顔のお母さんでいたいんです。
親と口をきかない男の子も多いようですが、幸い(?)口の悪い息子で、私のことを
「おい、ババア!」
と呼ぶので、
「まだババアじゃないぞ!」
と毎日言い合いをしています。
でもおかげで元気になれるので、口の悪い息子にも感謝です。
今日は母の日でした。
本当は母の日のお祝いに、映画「わが母の記」を見て、新宿の伊勢丹でおすしを食べて、デザートに伊勢丹のクローバーでモンブランを食べることにしていました。
だから、ものすごく寂しいです。
順風満帆な人生を送る人も、波乱万丈な人生を送る人もいますけれど、すべての人間が平等なのは、必ず死ぬことなのだから、母が亡くなるのは特別なことじゃないと、一生懸命に自分に言いきかせています。
でも、母のいない母の部屋に入るときは、胸が締めつけられる気がします。
また、仕事が終わって帰るとき、いつも必ず母に電話して「もしもし、ひろこちゃん。今、仕事終わった。これから帰るね!」と電話をしていたので、電話する相手がいないことが、ものすごく悲しいです。
今日も仕事の研修の帰り道、せつなくなって、通り道のビルのトイレに入って、声を押し殺して泣いてから帰ってきました。
この辛さは、我慢して耐えるしかないのでしょうね…
このような日々を過ごしていますが、なんと言っても感謝なのは、周りの方々からの温かいお言葉です。
葬儀に参列してくださった方々、温かいメールをくださった方々、お花や弔電をくださった方々、家に訪ねてくださった方々…
など、本当に皆さんの温かいお心に支えていただいています。
なんてありがたいんでしょう!!
本当に本当にありがとうございます。
泣き虫の私ですが、これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m
昨日は朝から1日病院にいました。
と言っても私が病気なのではなく、母の納棺式、前夜式、告別式でものすごくお世話になった牧師の先生が手術を受けられたのです。
その方は、私の人生でツラいことが起こると、いつも必ず支えてくださいました。
主人の手術や、大好きな祖母が亡くなったときの葬儀や、一人暮らしの叔母が遺体で見つかり、荼毘にふすときも、斎場に駆けつけて賛美歌とお祈りをしてくださいました。
また、3年前に母が救急車で運ばれ入院したときには、何度もお見舞いにいらしてくださり、美味しい海苔巻きを差し入れてくださいました。
そして今回の母の急逝に際しては、すぐに搬送先の大学病院の霊安室に駆けつけてくださり、納棺式では泣き続ける私の手を握り続けてくださいました。前夜式でも告別式でも、素晴らしい司会をしてくださいました。
母も、その牧師の先生のことが大好きで、自分が車椅子にも関わらず、「手術のときは、絶対に自分が付き添いたい!」と言っておりました。
それも叶わなくなってしまいましたので、母と2人分と思って、付き添わせていただきました。
手術は無事に成功し、ホッとしました。
午後6時半頃、眠りから覚めた先生とご一緒にお祈りしてから、病室をあとにしました。
手術が無事に成功して、本当に本当に良かったです。
駅に向かいながら、「無事に手術が終わったから、これから帰るって、博子ちゃん(母のことです)に電話しなきゃ。」と思って携帯を取り出して、電話する相手がいないことに、ハッ!と気づきました。
私が仕事のとき、いつも母は「たこ(私のことです)が無事に仕事の現場につきますように。無事に仕事ができますように。」と祈ってくれていたので、私は仕事が終わって帰るとき、いつも「これから帰るね!」と電話をしていたのです。
電話しようとして、すでに相手がいないことに気づいたとき、どうしようもないほどの寂しさ、寂寞(せきばく)感を感じます。
世の中ではこんなに医学が発展しているのに、寂しさにつけるお薬はないのでしょうか…
葬儀の翌日の5月4日(金)、岩手から母の葬儀のために来てくれた主人の両親と、仙台から来てくれた弟にうちに来てもらいました。
私が前夜式と告別式のときに遺族挨拶の中で、「全く苦労とは無縁のように見える母ですが、実は父がお酒を飲んで暴力をふるう人だったので、辛い結婚生活を送りました。母はいつも私に、『自分の結婚のせいで、たこ(私のことです)に迷惑をかけてごめんね』と謝っていました。母と私は、ずっとお互いに助け合い、守り合って暮らしてきました。」とお話したので、主人の父は「あんなに苦労してたとは知らなかった。可哀想。」と泣いてくれました。
その後、母も祖母も大好きだった、新宿小田急デパートの双葉で、みんなで鰻を食べました。
それから、東京駅の新幹線のホームで3人を見送ったあと、急に力が抜けました。
その後、息子と吉祥寺を歩いていたら、息子が「みんな何の写真を撮ってるんだろうと思ったら、虹が出てる!」と言いました。母が昭和19年から暮らしていた吉祥寺の空に、大きな虹が出ていました。
それを見たら、母からのメッセージのような気がして、涙が出てきました。
泣きながら写メを撮っていたら、美しい女の方が声をかけてくださり、「こっちからだと虹と白いお月様と、両方写せますよ。」と連れて行って下さいました。
私は泣きっぱなしだったので、「すみません。昨日が母の葬儀だったので。」とお話したら、その方は「私も今、母の病院にお見舞いに行ってきたところなんです。」とおっしゃって、お互いに慰め合いました。
不思議な出会いでしたが、心が癒やされました。
虹を見ていたら、母からのメッセージのような気がしました。
5月2日(水)午後6時〜前夜式、5月3日(木)午後1時半〜告別式が無事に終わりました。
大雨の中、ご参列くださった方々、弔電をくださった方々、温かい励ましのメールをくださった方々、本当に本当にありがとうございました。
母もどんなにか喜んでいることでしょう。
告別式の日、私が母にできる最後のことは何かを考え、母が天国に着くまでにお腹がすいちゃうと困るので、豆ご飯のお弁当を作りました。
母はとってもお腹を空かせる人だったし、豆ご飯が大好きだったので。
喜んでくれたかな…
一昨日28日(土)に急死した、母の葬儀の日取りが決まりました。
前夜式が5月2日(水)午後6時〜
告別式は5月3日(木)午後1時半〜3時まで
いずれもJR荻窪駅下車徒歩約5分の天沼教会(杉並区天沼3-17-3)にて行います。
8年前に亡くなった祖母のイオコのときと同じ教会で、私たち家族がもっとも信頼し、敬愛する牧師の先生方に、司式と司会をしていただけることになりました。
手話クラブの方々には、手話賛美歌をしていただくことになり、感謝です。
今はまだ母の身体があるからいいのですが、告別式をして母の身体が亡くなってしまうのが、寂しくて怖くてたまりません。
2年半の介護生活は確かに大変でしたけれど、もっともっと、あと20年くらい介護していたかったです。
毎日毎日メソメソして、家族に心配をかけていますが、なんとか無事に喪主の務めを果たさなければ…
明日は、スケジュールがビッシリです。
午前中は教会の礼拝の手話通訳があり、午後はテンダー日本語教室の講座が3コマあります。
午後1時〜3時までは、「格助詞?『で・と・より・から・まで』」
午後3時半〜5時半までは、「日本語の使い分け?」
そして、午後6時〜8時までは、通常の日本語講座「日本語の使い分け?」です。
昼間の2コマは2月の講座の補講です。
なんと、北海道から参加してくださる受講生さんがいらっしゃいます!
2009年4月に「聞こえない方が日本語の文章に自信を持ち、社会の中でご自分の力を十分に発揮してほしい!」という願いを込めて始めた講座も早4年になります。
だんだん少しずつ浸透してきたのかなぁと思うと嬉しいです(*^o^*)
この講座は、受講生さんの優しさで支えられています。
耳の日記念文化祭でチラシを配ってくださった方、私が授業で使う指示棒をすぐになくすので、おうちから持ってきてくださる方、授業が終わると黙ってホワイトボードを消してくださる方…
皆さん、いつも本当にありがとうございます!
手話で行う日本語講座は私のライフワークです。
ライフワークとは、「一生をかけてする仕事」という意味です。
これからも楽しく一緒に勉強しましょう(*^o^*)
私は昨年7月から、井の頭線久我山駅下車徒歩15秒のところで、テンダー手話教室を開いています。
アメリカンランゲージスクールという英会話学校のお部屋を間借りしているので、看板は出ていないものの、熱心な受講生さんが通ってくださっています。
その中のお一人から、嬉しいメールが届きました。
東京都手話通訳者等養成講習会の試験に合格したそうです!
ヤッター!良かったですねぇ(*^o^*)
自分の受講生さんが試験を受けると、自分が受けるのとは違った緊張感があります(@_@)
でも本当に良かった!
これからも自分の持っているものはすべて伝えて、受講生さんをサポートしていきたいです(*^o^*)
私は2009年4月〜1年半、オーストラリア人のろうの女性に日本語と日本の手話を教えていました。
聞こえる外国人のための日本語学校はたくさんありますが、聞こえない外国人の方に日本語と日本の手話を教える所はないので、あちこちで断られたあと、私のところにお話がきたのでした。
私は聞こえる欧米のビジネスマンに5年間日本語を教え、2009年からは日本人のろうの方々のための日本語講座を開いていますが、聞こえない外国人の方への指導は経験がなかったので、引き受けるのに不安がありました。
でも私が断ってしまったら、きっともう他に誰も引き受ける人はいないだろうなぁと思い、思い切って引き受けました。
今は指導は終わりましたが、本当に引き受けて良かったなぁと思っています。
その彼女が久しぶりに日本に来たので、20日(金)の夜に自由ヶ丘で会いました。
昨年はいろいろ辛いことがあった彼女ですが、乗り越えた今は、とってもキレイになっていました。
私の日本語講座の事務局を担当してくれていた女性と3人で会ったのですが、日本的なところがいいだろうということで、カウンター式の居酒屋さんに行きました。
「生のお魚は大丈夫?」と聞いたら、「大丈夫!」とのことだったので、マグロとタコとウニのお刺身を頼みました。
マグロはとても喜んで食べてくれました!
でもタコは、なかなか飲み込めず、ウニを食べたときには最高にイヤな顔をしていました(∋_∈)
悪いことしちゃったかなぁ(^_^;)
でも、国籍の違いや障害の有無など関係なく、心を通わせることができて、嬉しいなぁと思いました(*^o^*)
すっかり遅くなり、さらに井の頭線で爆睡して終点吉祥寺まで行ってしまい、知らないおじさんが起こしてくれました(^。^;)
さらに家に着いたとたんにソファーで爆睡し、次に気がついたときには朝の4時でした(°□°;)
「ヤバい!母のオムツを替えてないっ!」
と慌てて母の部屋に飛んでいきました。
すると当然のことながら、母は夢の中でした。
机の上には書き置きがあり、
「たこ(私の愛称です)がなかなか私のオムツを替えに来てくれない。明日の朝、オムツがどうなっていてもしらない。」と書いてありました(-o-;)
ゴメンナサイ!
ちょうど1週間前に、親戚とのトラブルの裁判があり、母が証人として出廷しました。
心配してメールをくださった方々、ありがとうございましたm(_ _)m
私は傍聴席にいたのですが、とても緊張しました。
素晴らしい弁護士さんお二人が、母の緊張を解こうといろいろ気遣ってくださいました。
でも30年以上うつ病でお薬の欠かせない母にとって、証人としての出廷はかなりの重荷だったようです。
思ったとおりに証言できず、母はこの1週間ずっと落ち込んでいました(>_<)
弁護士さんも母のうつ病が重くなることを、とても心配してくださいました(∋_∈)
私は何とかしたいと思い、「慰労会」と称してお昼ご飯に家の近くの華屋与兵衛に連れて行きました。
高いものはご馳走してあげられなかったのですが、母の好きな梅酒もつけたら、本当に喜んでいました(*^o^*)
毎日母の下の世話や着替え、入れ歯のケアや血糖値測定などなどで、本当に手がかかるのですが、いつか世話をしなくてすむ日が来てしまったら、きっとどんなにか寂しいことでしょう。
母とは「親子」というより、一緒にいろいろ大変な家庭の問題を乗り越えてきたので、「同士」のような関係です。
お嬢さんのまま年を取り、手のかかる母ですが、幼いときから共に手を取りあって父やいとこや伯母の問題を乗り越えてきたので、大事にしたいと思います(*^o^*)