最年長受講生Oさんとのお別れ
私は現在、
◆久我山のテンダー手話教室
◆荻窪の天沼教会
◆地元の手話講習会
の3ヶ所で手話指導をしています。
その中で最年長の受講生さんは、88才のOさんでした。
天沼教会の手話クラブひよこ組のメンバーとして、2010年〜2011年9月まで、熱心に通ってくださいました。
87才のときに、
「人の役に立ちたい!」
と手話を始めた、その心意気がカッコいいと思いませんか?
片方のお耳が遠かったので、ご説明するときは筆談が多かったのですが、ご説明すると、
「なるほど、その手話は”stone”という意味ですか」
などと、英語で答えられることが多かったので、
「どうして英語がご堪能なのですか?」
と伺いました。
すると、東大法学部を出られたあと金融機関にお勤めで、海外勤務をなさっていらしたとのこと。
でも全く偉そうな態度はなさらず、謙譲(けんじょう)な方でした。いつも一番先にいらして、みんなのために椅子を並べて待っていてくださいました。
2011年3月11日の東日本大震災の日、私は豊洲の博報堂DY・アイオーという会社で、「聴覚障害社員のための手話で行う文章力向上講座」をしていて、その日は家に帰れず博報堂DY・アイオーさんに泊めていただきました。
翌日が天沼教会の手話クラブひよこ組だったので、メンバーにメールをして「ひよこ組は中止」とご連絡しました。
ところが、Oさんはご高齢のため携帯をお持ちではなく、連絡がつきませんでした。
翌朝、電車が復旧して自宅に帰った私は、Oさんのことが気になって仕方がありませんでした。
「ものすごく律義なOさんのことだから、震災の翌日でも、ひよこ組にいらっしゃるかもしれない!」
そう思った私は、家のことを後回しにして天沼教会に行きました。
すると…
案の定Oさんは、みんなの分の椅子を並べて、ちょこんと座っていらっしゃいました。
私はそのお姿を見て、とても愛しく思いました。
そして、せっかくいらしてくださったOさんに、手話のプライベートレッスンをさせていただきました。
その後半年ほどして、ご病気になり入院されたので、私は2度ほどお見舞いに伺いました。
そのときのお礼にと2011年の12月にくださったのが、添付した絵です。
とっても素敵でしょう?
私は今年の7月にテンダー手話教室が、「ちっぷいん」の2階に引っ越したとき、記念にこの絵を飾らせていただきました。
天沼教会手話クラブひよこ組が大好きで、「ひよこ組が唯一の楽しみ」とおっしゃっていたOさん。
退院後、ドクターストップで外出禁止となり、ひよこ組にいらっしゃることはできなくなってしまいました。
そのOさんが亡くなられたと、昨日知りました。
90才でしたので、大往生ではありますが、私にとって年が上だろうと下だろうと関係なく、一度でも手話を教えた方は私の大切な教え子ですので、とても寂しいです。
Oさんが亡くなったことを知った昨日の夜中、息子が
「星が、すげーキレイだから、ちょっと外に出てみろよ」
と誘ってくれました。
夜中の1時に息子と一緒に外へ出てみると、空気がとても澄んでいて、星がとってもキレイでした☆☆☆
「あのお星さまは、ひろこちゃん(私の母です)かなあ?スッゴくピカピカしていて、自己主張してるよね!」
「ホントだ!星も太ってるよな!」
そう言って息子と笑い合って夜空を見ていたら、キラキラの星空にOさんの温厚な笑顔が浮かびました(*^o^*)
短い間だったけれど、Oさんという素敵なおじいちゃまに教えられたことに感謝しました。
そして、こうして19才の息子と一緒に星空を見られる幸せにも感謝しました☆☆☆
私は様々な問題を抱えていますが、手話を通じて様々な素敵な方々と出会え、また口の悪い息子ですが精神的に支えとなってくれて、本当にありがたいな。自分の人生は幸せなんだな、と神様に感謝しました。
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