病院通訳で
昨日は病院と大学病院の通訳をハシゴしました。
朝7時15分に家を出る予定で、5時半に目覚ましをセットしました。
それなのに、目覚まし時計を止めて寝ちゃったらしく、目が覚めたら7時15分!!
「家を出る時間じゃない(°□°;)」
大慌てで顔を洗って着替えて、でも私は朝食を食べないと動けないので、ミルクとパンとヨーグルトを食べて出かけました。
駅からタクシーに乗って駆けつけると、約束の15分前に着くことができてホッとしました(*^o^*)
病院通訳では、患者さんの訴えをキチンと伝え、お医者さんの所見も正しく伝えなければなりません。
でも、聞こえる人の中にも、人の話しを聞かずに一方的にお話しするタイプの人っていますよね。
聞こえない方の中にも、先生のお話しを通訳しているときに、あまり見ようとせずに一方的にお話ししようとする方もいます。
今までの私なら、困ってしまってオロオロしていました。
でも昨日はようやく、
「待って、先生の通訳を見てください」
と聞こえない方に伝えて、先生のお話しを丁寧に通訳することができました。
お医者さまからお礼を言っていただき、びっくりするとともに、嬉しくなりました。
手話通訳士になって7年、やっと少し成長できたのでしょうか?
正味6時間半の病院通訳はかなり疲れますが、無事に終わるとホッとします。
一つ、神様が与えてくださったオマケがありました。
通訳した方は、おみ足が悪く、ハンディキャブというボランティア団体に送迎をお願いしているのですが、大学病院の帰りに乗せてくださったドライバーさんは、母が生前とてもお世話になった方でした。
母が最後にハンディキャブさんのお世話になったのは、亡くなる3週間前に、東京高等裁判所に出廷したときでした。
母が、娘のように可愛がっていた姪との間でトラブルが起き、原告として東京高等裁判所に出廷した日、帰りに乗せてくださったドライバーさんでした。裁判で疲れきった私たち母子に、
「ほら、外務省の桜がキレイですよ」
と教えてくださって、母と車の中から満開の桜を見たのでした。
あれが母と見た最後の桜でした。
「お母さんが亡くなって、もう2年位になりますか?」
とドライバーさんに聞かれて、
「いえ、ええと今日は28日だから、今日でちょうど1年4ヶ月になります」
と答えました。
このドライバーさんは、本当に母にご親切にしてくださった方で、母が急逝したときにしばらく断酒してくださったんです。
この方や母がお世話になったお医者さまの記憶には、母の無邪気な笑顔が残っているようです。
どうせ人は必ず死ぬのなら、母みたいに人の心に笑顔を残して死にたいなぁ。
私が通訳した方は、ご自分が聞こえなくなったことで世の中を恨んでいらっしゃいますが、いつか笑顔を取り戻せるといいなぁ…と思いました。
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