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教会の夏休み聖書学校を終えて

気がついたら、7月の31日、いえ、日付が変わって8月1日になっていました。

こんな真夜中にご飯を食べたら太るだろうなぁ…と思いつつ、深夜に夕食を食べています(>_<) 本当に忙しい毎日でした。7月に入って、とうとう1日もお休みがありませんでした。 朝7時過ぎに家を出て大学病院や個人病院の通訳をハシゴして、そのまま夜まで手話指導をしたり、午前中に手話辞典編纂の打ち合わせ、午後は手話指導→文章力講座の打ち合わせ→手話の出張レッスン等々。 特に28日から3日間は、私がいつも手話通訳をし、祖母や母の葬儀をしていただいた教会で夏休み聖書学校があり、スタッフとして参加しました。130名ほどの子供たちが集まる、毎年恒例の一大イベントです。私はイメージキャラクターの着ぐるみの中に入って、踊ったり、お話をしたり、また幼稚園年長さんのクラスの担任をしています。スタッフになって、今年で15年目になります。 毎朝7時半に家を出て夏休み聖書学校に参加し、夜はテンダー手話教室の指導をしました。そのため、この数日間は、帰宅して夕食を食べるとそのままテーブルに伏して爆睡しちゃいました。 この間にメールをくださった方には、お返事できずにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたm(_ _)m そんなに体力的にはキツいのに、15年も続けているのは何故かというと、夏休み聖書学校には2つの大きな意味があるからなんだと思います。 1つは、小さいときに神様のことを知り、教会を身近に感じて欲しいということです。 私自身、普段の教会の礼拝以外に、一人でソッと教会に行ってお祈りすることがあります。 親戚とのトラブルで裁判になったときや主人のアスペルガー症候群のことなど、大きな問題に直面したときは、そっと教会に行って、悩みをすべて打ち明けてお祈りすることで、心の平安を取り戻してきました(*^o^*) 小さいうちに教会を身近に感じてもらえれば、大人になって苦しい問題に直面したときに、心の寄りどころを持つことができます。 もう一つは、純粋な子供たちに接することで、自分自身の心を漂白することができます。 私が担当する幼稚園年長さんのクラスは、まだまだ本当に純粋です。 最終日のお昼ご飯のとき、私のクラスの一人の男の子が、 「先生、隣りに座って!」 というので 「じゃあ、座らせてもらうね」 と言って、隣りに座ってお昼ご飯を食べました。 私はマイフォークもマイお茶もあったのですが、その男の子「だいちゃん」が 「ぼくのおハシ使って」 と言うので、お言葉に甘えました。 そして、 「ぼくのお茶飲んでいいよ」 と言って、水筒のフタにお茶をついでくれたので、ご馳走になりました。 だいちゃんは、「与える愛」を知ってるんだなと思いました(*^o^*) 「だいちゃんの嫌いな食べ物は何?」 と聞くと、 「アスパラガスと、たけのこ。でも、チョコレートのついたたけのこは食べられるよ!(^O^)」 それは『たけのこの里』でしょう、と言いたい言葉を飲み込みました(*^o^*) 可愛いなぁ。 こういう純粋な気持ちを、人はいつなくしちゃうんだろう。 悲しい思いや辛い思いを重ねるうちに、だいちゃんみたいな純粋な心をなくしちゃうのかなぁ… だとしたら、相当の修羅場をくぐってきた私は、ずいぶん心が汚れちゃったかなぁ… 仕事が忙しいので、夏休み聖書学校のスタッフは体力的にキツいのですが、心を漂白するためにも、夏休み聖書学校のスタッフのお役目は、私にとって大切な使命なのだと思います。 だいちゃん、ありがとう(*^o^*)

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