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母の追悼式


先日、昨年4月28日に突然神様のみもとに旅立った母の追悼式(仏教でいうところの一周忌)が無事に終わりました。

この1年間、私は本当に泣きました。
よく「涙が枯れるまで…」と言いますが、私の場合はいつまでも枯れなくて(^_^;)

母と私は単なる親子ではなく「戦友」のような関係でしたから、母を失った悲しみはあまりに深く、本当に片腕をもぎ取られたようでした。

父はお酒を飲んでキレると手がつけられなくなるので、母と二人でずっと助け合ってきました。

母は立教女学院から東京女子大短大に進み、卒業後は飯野海運に勤めました。当時は「ミス飯野」と言われていたそうです。新聞記者の父と結婚した後は、青山学院大学や母校の立教女学院で、英文タイプの講師として約30年間働いてきました。

…と、ここまで書くと、実に華やかな人生を歩んできたように見えますが、その裏で、結婚生活のことで悩み続けていた母の姿を見て育ちました。

母は自分が辛くて悩むのではなくて、自分が父と結婚したことで、娘の私に辛い思いをさせて申し訳ないと、ずっと自分を責めて苦しんでいました。

亡くなる4日前、私がPTSDで通院しているお医者さまが、
「鈴木隆子が実父と接触することは、フラッシュバック他、病状の悪化をきたす為、危険と判断する」
との診断書を書いてくださったときは、
「この診断書があれば、たこは守られるね」
と母が言い、二人で抱き合って泣きました。

その4日後の安息日の朝、突然母は神様のみもとに行ってしまいました。
「なんで急に死んじゃったの?」
とずっ―と思っていましたが、母が亡くなって1年経って、やっとその意味がわかった気がします。

神様は、母が自分を責める姿を、これ以上見ていられなかったのではないでしょうか。
「もう自分を責めなくていいよ。苦しまなくていいよ。ゆっくり休みなさい」

そうおっしゃって、なんの悩みも苦しみもない神様のみもとに連れて行ってくださったのではないか…そう思えるようになりました(*^o^*)

教会での追悼式では母の敬愛するお二人の牧師さんに、それぞれ「司式」と「思い出」のお話をお願いしました。

献花のお花は白ではなく、母の大好きな、ピンクと薄紫の中間色のバラの花にしました。

ひろこちゃん(母のことです)、喜んでくれたかな。

これからは、いつか天国で母に会ったとき、楽しい土産話がたくさんできるように頑張りたいと思います(*^o^*)

追悼式が終わったら緊張の糸が切れたみたいで、体調を崩してしまいました。

熱も出してしまい、周りの方には、ずいぶんご心配おかけしました。すみませんm(_ _)m
やっと回復しましたので、ご安心くださいね(*^o^*)

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