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キリスト教倫理の講義で通訳をして

今朝は1限から大学で、キリスト教倫理の講義の手話通訳をしました。

その中で、「人は能力があるなしに関わらず、存在しているだけで価値がある」というお話がありました。

「もっと鼻が高くてキレイだったら価値があるのに」
とか
「もっと能力があれば価値があるのに」
というような人間的な尺度ではない。
「もっとこうだったら…」というような条件を一切つけることなく、無条件で、存在していること自体に価値がある、というのがキリスト教の神様の考えです。

仏教のように、もっと修行をして自分を高めなければダメ、というのではないんです。

私、この「存在しているだけで価値がある」という考え方が、ものスゴくよくわかります。

寝たきりになった祖母を2年、車椅子生活になった母を2年半、それぞれ亡くなるまで介護しました。

2人は私に下の世話をさせることを気にして、
「たこちゃんに迷惑かけてゴメンね。役に立たなくなってゴメンね。」
と、よく謝ってくれました。

でも私、役に立たないから価値がない、なんて思ったこともなかった。

祖母も母も、手がかかったけれど、生きていてくれるだけで嬉しかったし、私の心の支えでした。

ですから、今日の講義の内容は心にストンと落ちましたo(^-^)o

介護の日々が懐かしく思い出されました。

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