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PTSDの発作が出てしまいました(>_<)

一昨日の夜、仕事から帰宅し「たましいの授業2」というテレビを見ながら、急いで夕食を作っていました。

イタリアンの川越達也シェフがご自分の生い立ちを語り、お父さんが酒乱で暴れる人だったと話しているのを見ていました。

「この人もそうだったんだ!」
そう思って見始めたときは大丈夫だったのですが、突然涙が滝のように流れてきて、息が苦しくなり、心臓がバクバクし始めました。

そして忘れていた情景が次々にフラッシュバックし、苦しくてたまらなくなりました。

私が建設会社の経営企画室で総合職として働いていたころ、広報室と合同の歓送迎会がありました。
みんなは二次会に行ったのですが、私は一人だけ一次会だけで帰ってきました。

玄関の鍵を開けたとたん、酔った父に殴られて、そばにあった傘立てごと吹っ飛びました。

すぐに母が飛んできて、「危ないから逃げなさい!」と、私を逃がしてくれました。
私は一人残った母のことが心配でしたが、とりあえずバッグを持って家から逃げました。

遅くなったときに泊めてもらう親友は広報室に勤務していて、私が先に帰ったあと二次会に行ったから、彼女のところには泊まれません(∋_∈)

吉祥寺にいる祖母には心配かけたくないから、祖母の家にも行かれません(∋_∈)

今と違って、携帯もインターネットもありません(∋_∈)

仕方なく私は吉祥寺に行き、公衆電話の電話帳で泊まるホテルを探しました。
駅の近くに吉祥寺ホテルというのがあり、電話で場所を聞いてから行ってみると、なんとラブホテルでした(°□°;)

でも、「もうどこでもいいや」とそこに泊まることにしました。

すると受付のおばさんは、若い女の子が一人で泊まるのでビックリして言いました。
「何か変な気を起こしているんじゃないでしょうね!」
そのおばさんは、私が失恋して自殺でもするんじゃないかと思ったそうです。

私は、「そうではなくて、父がお酒を飲んで暴れるので、母が逃がしてくれて家を飛び出したんですが、行くところがなくて、ここに泊まらせてもらおうと思ってきました」と話すと、そのおばさんは大変心配してくれました。

そして「ヘンな人がいるといけないから、ちゃんと鍵をかけて寝るのよ」と言って鍵を渡してくれました。

もう忘れていたはずなのに、そのときの様子が一つ一つ鮮明にフラッシュバックし、感情のコントロールができなくなってしまいました。

殴られた自分の姿、必死に逃がしてくれた母の姿…やっぱりお医者さまがおっしゃるとおり、PTSDは治らないんですね(>_<) 少し収まったころ、部屋から出てきた息子が私の異変に気づき、 「おい、どうした?」と聞きました。 「またPTSDの発作が出ちゃった(T_T)」と答えると、 「こういうの見ると必ず発作が出るってわかってんのに、何で見るんだよ!」 と言われました。 そう、確かに息子の言うとおりなんです。 それなのになぜ、そういう番組を見たかというと、「もしかしたらPTSDは治ったかもしれない」という希望を持ちたかったからです。 でも、それはやっぱり無理でした(>_<) 母は私がPTSDになったことに対して、ものすごく責任を感じていました。 母が亡くなる4日前、私はメンタルクリニックに治療に行き、お医者さまに診断書を書いていただきました。そのときも母は 「私がああいう人と結婚したために、たこに迷惑かけてごめんね」 と言って、ポロポロ泣きました。 私は、 「私はひろこちゃんの連れ子じゃないんだし、ひろこちゃんが一人で責任を感じることはないんだよ」 と言ったのですが、母は常に私に対して「申し訳ない」という自責の念を感じていました。 私以外の方々と話すときは、いつも明るくて無邪気な面しか見せませんでしたが、内面ではずーっと自分を責め続けていた母でした。 母が亡くなって75日過ぎ、やっと気持ちが落ち着いてきた私は、 「母の突然の死は、母を裁判の重荷や、PTSDが治らない私への自責の念から、神様が母を解放するためだったのかもしれない」 そう思えました。 そう思ったら安心できて、気を取り直しました。 そして、心配かけてしまった息子と共に、遅い夕食を食べました。 PTSDは非常に苦しいので、私以外にこんな思いをする人がいなくなるように、と心から望んでいます。

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