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やっと前向きになりました

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母が急逝し、1ヶ月半が経ちました。

相変わらず、1日に何回か涙タイムがありまして、メソメソは続いています(;_;)

この数日間は2009年からの手帳を読み返しています。
私は2008年10月に「サポート手話」という本を出したのをきっかけに、フリーの手話通訳士となりました。

そのときに、私の背中を押してくれたのは、母でした。

それ以降、母とどんな風に暮らしてきたかな…と思い、毎日少しずつ手帳を引っ張り出して読んでいます。

昨日の朝、2011年の手帳を読んでいたら、4月23日のところで手が止まり、号泣しました。

昨年の4月23日は、午前中は教会の礼拝の手話通訳、午後は教会で手話指導がありまして、夕方帰宅しました。

家まであと数分、というところで、空を見上げると、ものすごくキレイな虹が出ていました!

私は嬉しくて、早く母に見せたくて、急いで家に帰りました。

そのときの記載があります。

「一生心に残る、大きくてものすごくキレイな虹を見ました。神様が見せてくださいました。ひろこちゃん(母のことです!)と2人で消えるまでの20分間、ずっと見ていました。
ひろこちゃんはポロポロ泣きました。
ひろこちゃんの言葉『たこちゃんは今までいっぱい苦労してきたけど、辛かったこと、全部忘れちゃいなさいね。」
「辛い思いをしたからこそ、何も苦労しないで生きてきた人より利口になったと思いなさいね。」
ひろこちゃんは涙をポロポロ流しながら言いました。」

このように書いてありました。これを読んで号泣してしまいました(ToT)

私は年の割りに落ち着きがないせいか?
今まで苦労知らずに育ってきたように思われます。

でも実際は父がお酒を飲んで暴力をふるう人で家の中は大変でしたし、それがきっかけで母は私が中3のときから、うつ病になり亡くなるまで抗うつ剤と精神安定剤が手放せませんでした。

祖母が寝たきりになってうちに引き取って2年間介護したあとは、躁うつ病のいとこが自殺未遂をはかり、私は彼女の世話をして、彼女が一生働かなくても食べていかれるように、様々な福祉の申請をし、保証人にもなりました。
その後、旦那が愛人を作り、家を出て、40年も一人暮らしをしていた叔母が遺体で発見され、警察に遺体を引き取りに行きました。

その後、私が世話をしていた躁うつ病のいとことの間でトラブルが起こり、裁判に発展し、母と私が住んでいる家を競売にかけられそうになりました。

トラブルが次々に起こり、特に去年の裁判では母とともに悔し泣きをすることが何度もありました。

そのさなかに、母と虹を見たのでした。
それで母と2人で虹が消えるまで、20分間ずっと虹を見ていたのでした。

そのときの記録を見て、母はどんなときでも、私に前向きに生きていってほしいと思っていたんだなぁと感じました。

「母が望むように前向きに生きよう!」
母が亡くなって、初めてそう思えました(*^o^*)

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