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母と見た桜

今日は、(今日も?)とてもハードでした。

朝7時過ぎにうちを出て、病院の通訳に行きました。
個人病院と大学病院のハシゴです。大学病院がものスゴく混んでいたので、6時間以上の通訳となりました。

対象の方が、おみ足がご不自由なので、ボランティア団体の方に車の送迎をお願いしています。
通訳が終わり、私も同乗してご自宅に帰るとき、運転手さんが「○○通りを通りましょう。桜がキレイだからお見せしますよ」と、ものスゴく嬉しい提案をしてくださいました!

私はものスゴく嬉しくて、「うわぁい!お願いします!」と叫びました。

いつも歩いているはずなのに、いつもあわただしく、前を向いて小走りに歩いている私は、その通りの街路樹が桜だったとはまるで気づきませんでした(^_^;)

美しい桜のトンネルを眺めているとき、私はふと、これと全く同じような状況で、母と美しい桜を見たことを思い出しました…

母は脊柱管狭窄症と腰椎すべり症で、2009年から車椅子生活を送っていました。

母もよく、同じボランティア団体の車の送迎をお願いしていました。

ちょうど1年程前の4月5日に、同じように母の付き添いで同乗した車の中から、満開の美しい桜を見たのでした。

親戚とのトラブルで裁判になり、母が原告として出廷した東京高等裁判所からの帰りの車でした。

裁判で緊張し、イヤな思いもして疲れ果てて車に乗った私たち母子に、ドライバーさんが、
「ほら、見てください!外務省の桜が満開でキレイですよ」
と教えてくださいました。

見ると外務省の桜は満開で、本当に驚くほどキレイでした。
私は出廷せずに傍聴席にいたものの、親戚との裁判で憔悴(しょうすい)しきった身には、満開の桜は美し過ぎて、なんだか自分とは別世界のように感じました。

ところが、根っからのお嬢さん育ちで天真爛漫な母は、さっきまで法廷で大変な思いをしていたにも関わらず、
「桜がキレイ!」
と大喜びしていましたっけ(^_^;)

まさか東京高等裁判所の帰りの桜が、母と見た最期の桜になろうとは、夢にも思いませんでした(;_;)

人の世は移り変わり、昨年ともに桜を見た人が、今年は隣りにいないのですが、桜は今年も来年も、そしてずーっと先まで、美しく咲き誇るのでしょうね。

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