母は私の中に
明日で母が亡くなって4週間だというのに、相変わらず毎日メソメソしています。
どこへ行っても、
「ここは、母と一緒によく来たなぁ。」とか、
「この道は、母の車椅子を押して、よく通ったなぁ。」
などと、ひとつひとつが母の思い出と結びついてしまい、涙があふれます。
我ながら、「よくこんなに涙が出るなぁ。」と.呆れてしまいます。涙の水源はどこなのでしょう?
さて、今朝6時過ぎに起きたとたん、不思議なことに母の声がハッキリ聞こえてきました。
話の内容は、私が幼いときから何度も聞いた話です。
私は荻窪の東京衛生病院で生まれたのですが、生まれたときは逆子で仮死状態だったそうです。
「逆子で仮死状態で、産声をあげなかったの。看護婦さんが慌てて酸素マスクをはめて、『お母さん、早く赤ちゃんに酸素を送ってあげてください!』っていうんだけど、涙ばっかり出てきて、なかなかうまく息が吸えなかったの。」
その後、産婦人科の二人の医師、主治医の市瀬先生とサポートしてくださった辺見先生のご尽力のおかげで、一命をとりとめることができました。
「今でも、酸素マスクのゴムの匂いを覚えてるの。」
ギリギリのところで母がつないでくれた命。
幼いときから何度も聞いた話ですが、今朝の6時過ぎに、この話を語る母の声がハッキリ聞こえた気がしました。
母はこのときのことを感謝し、市瀬先生が亡くなるまで、毎年年賀状に「おかげさまで、隆子は今年何歳になります。身長は何センチ、体重は何キロです。」と書いて、年賀状を出し続けていました。
娘の命を助けていただいたことが、よっぽど嬉しかったのでしょう。
私としては、「体重まで書かなくてもいいんじゃないかなぁ。」と思いましたが(苦笑)
母と私が二人三脚で歩んできた道のりは、考えてみるとスタートしたときから波瀾に富んだものでした。
母の葬儀にいらしてくださった母の学生時代のお友達は、私を見て「お母さんに似てるわね!」とおっしゃいます。
亡くなった母の遺体や顔をキレイにしてくださったエンバーマーさん(アメリカで技術を習得された女性の方です)にも、「お母さんと似てますね。」と言われました。
母の生前は「似ている」と言われたことはあまりないので、どうしてかなぁと考えてみました。
そう、私と母は太っていた時期が反対なんです!
私は25歳までは太っていて、顔は肉に覆われていました(苦笑)
逆に母は、そのころまで、とてもスリムでした。
私が痩せた25歳のころから、今度は逆に母の方が太ってきました。
お互いに、太ったり痩せたりが反比例なんです(苦笑)
だから、生前は「似ている」と言われたことがなかったのでしょう。
「劇的!ビフォー・アフター」のような母子です(笑)
でも、今度の葬儀で母の若い頃を知る方々に、「お母さんに似ているわね!」と言われると、とても嬉しかったです(*^o^*)
「母は私の中で生きている!」
そう思えました。
添付した遺影の写真は、今年の3月25日に母と古い写真の整理をしていたとき、母から「自分が死んだら、お葬式の写真は絶対これにして欲しい。」と頼まれた写真です。
母が45歳のときのものです。
今まで、そんなことを言ったことはないのに、今考えると、「虫の知らせ」だったのでしょうか!?
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