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終戦記念日の平和記念式典の手話通訳

一昨日8月15日は、66回目の終戦記念日でした。

私は戦没者追悼式並びに平和記念式典の手話通訳を担当しました。

朝5時に起きる予定で目覚まし時計をセットしていましたが、前日仕事をしていて寝たのが午前2時だったので、目覚まし時計が鳴っても、なかなか起きられませんでした(>_<) 「起きなきゃ。でも眠い…」(-.-)zzZ スーッと眠りの世界に入っていきそうになったとき、突然隣りの和室から、大きなテレビの音が聞こえ始めました(*_*) 「アレッ?どうしたんだろう?」 びっくりして隣りの部屋へ行くと、タイマーをセットしていたわけじゃないのに、テレビがついていて朝の番組をやっていました(°□°;) 昨夜寝たときは、絶対にすべての電気を消して寝たのに! タイマーもセットしてないのに!(機械に疎い私はタイマーセットの方法がわからないんです(^_^;)) もしかしたら、亡くなった祖母のイオコや、私のことを娘のように思ってくれていた叔母が、私のことを起こしてくれたのかしら…と思いました。 式典の開始は午前10時から、手話通訳者の集合は午前9時でした。ところが、母のオムツ替えなどに時間をとらえた私は家を出るのが遅くなり、到着したのは9時2分過ぎ(°□°;) 超アセりました(*_*) 幸い、ご一緒に担当したのは優しい先輩方だったので、本当にありがたかったですo(^-^)o 以前大学の手話通訳の時に、毎回講義の20分前までにくるようにと、ある先輩に言われたことがありました。 でも大学の講義は事前に打ち合わせはないし、母の介護をしているとどうしても時間通りに家を出られないこともあるので、「毎回必ず20分前には着けないこともあるのですみません。」と先輩にお話したことがあります。 すると先輩から「介護だと言えば何でも許されると思ってるの?」というメールがきて、泣いたことがあります(;_;) 実際、仕事に行く前に下(しも)の世話をしていると予想外に時間をとられてしまうことは多々あります。 「朝の忙しいときに、粗相(そそう)をして、たこ(私のことです)に迷惑をかけて申し訳ない。」と涙ぐんでいる母を見ると、とてもじゃないけれど、そのまま放り出して仕事に行かれないんです(>_<) 結婚生活で苦労してきた母には、できるだけ親孝行したいと思っているのですが、介護と仕事を両立するのは大変ですね! それ以来、通訳の仕事がくると、「一緒に担当する相手はどなただろう(◎o◎)」とドキドキしています(^_^;) さて、平和記念式典では、広島の被爆者の方の体験談の手話通訳を担当させていただきました。 「被爆して焼けただれた皮膚が、だらりと垂れ下がった」とか「太田川では、魚の背びれが焼け落ち、中身が見える状態で『生きたまま焼き魚』になっていた」など、被爆直後の悲惨な様子を状況手話で伝えるのは、とても難しかったです(>_<) でも戦争経験者やご遺族がどんどん高齢化していくので、こういう戦争のお話はキチンと語り伝えなければならないと思いました。 こういう状況手話が見てわかるように伝えられるために、もっともっと技術を磨かなければ…と決意を新たにしました。

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