うちの歴史が変わります
とても人柄が良いお嬢さんです。
息子に最高のパートナーができたからです。
祖母も母も私も、辛いことの多い家庭だったので、それは私までで断ち切って、
2人には幸せな人生を歩んでほしいと心から思います。
明治の初めに生まれた私のひいおじいさん。
牧師さんに連れられてアメリカに渡り、アメリカで大学を卒業して日本に戻り、第二次世界大戦の頃は奉天で初めてのデパート「満蒙百貨店」を創業しました。
敗戦後、満州にロシア軍が入ってきた時、自分の百貨店で働く全ての従業員が日本に無事に帰ることと引き換えに、自分がロシア軍の兵隊に射殺されることを望み、紋付羽織袴姿で銃弾に倒れたクリスチャンです。
そして、その長女である祖母。私の家が荒れ果ていたので「たこちゃんは本当に可哀想ね。でも必ず神様が守ってくださるからね」と神様を教えてくれたクリスチャンです。そのおかげで私はグレなかったのだと思います。
そして母。「ミス飯野海運」と言われたお嬢さん育ちの母でしたが、結婚してからは辛いことばかり。たくさんの縁談の中から選んだ相手は、キレると暴力を振るい手がつけられなくなる人でした。自分の見る目がないために可愛がって育ててくれた両親にも、1人娘の私にも迷惑をかけてしまったと自分を責めて、33年間もうつ病に苦しんだクリスチャンでした。
そんなひいおじいさん、祖母、母が大好きだった銀座の資生堂パーラーで、みんなが好きだった味を知って欲しくて、お祝いに息子と娘ちゃんに味わってもらいました。
その後は、娘ちゃんを祖母や母に紹介するために、祖母や母の眠る青山霊園に一緒にお墓参りに行ってもらいました。
お墓の木を切っている息子と、それを片付けるお手伝いをしてくれた娘ちゃんの幸せそうな姿を見て、母に「あなたが身体を張って守ってくれた命は、今こうして素晴らしいパートナーを得て、新しい人生を歩み始めることができました。本当にありがとう」と心の中でお礼を言いました。
息子がお腹にいる時、妊娠6ヶ月の時に父が「おまえのお腹の子どもなんて死んでも構わない」と言って私に暴力を振るったのですが、その時に飛んできて身体を張って私とお腹の中の息子を守ってくれたのが母でした。
その後、父は母にも暴力を振るい、警察官が3人きて、大変な修羅場となったのでした。
2人の幸せそうな姿を見て、天国で母も大喜びをしていることと思います。
これで母に恩返しできたように思います。
さて余談ですが。
この数日後に私は大学病院に入院して腰椎の手術をすることになっていました。
ところが直前の検査で、「今の状態で全身麻酔は無理」という診断で、手術は延期になりました。
ろうの方からお見舞いをいただいたり、生徒さんが「入院中のご飯が美味しくないといけないから」とご飯のお供をくださったり、「先生、手術頑張ってください」と温かいメールをいただいたりしたのに、手術を延期することになって。
なんだか「手術するする詐欺」をしているみたいで、心苦しいです。
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