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礼拝の通訳で

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今日は、午前中は教会の礼拝の手話通訳、
午後は、聴覚障がい者のための手話で行う日本語講座、
夕方から夜までは、手話のレッスンでした。

最近は仕事優先で、礼拝の手話通訳の時しか教会に行かない、ダメなクリスチャンです(^^;)
でも、やっぱり、私が数々の修羅場を乗り越えてこられたのは、信仰があったからだと思います。

仏教だったら、滝に打たれて修行したりしなければならないのかもしれません。
でも、キリスト教はそうではないです。
父親とか、配偶者とか、本来自分を守ってくれるはずの立場の人に、守ってもらった経験のない私には、聖書の言葉が救いでした。

「あなたがたの思いわずらいを、いっさい神にゆだねなさい」
この言葉で、どんなに気持ちがラクになったことでしょう。

亡くなった母の部屋にも、この言葉がかけてありました。
母はいつもこれを見て、お祈りしていました。

今日の礼拝は、アメリカから牧師さんをお迎えしてのお説教。
私はお説教の手話通訳を担当しました。
終わってから、ろうの方々が「長くて大変だったね」とねぎらってくださいました。
「⁇」と思って時計を見ると、なんと予定の時間を40分もオーバーしていました(・◇・)/~~~

私が通訳をしていて、1番心に残ったのは、
「人は、自分とは異質なものは、拒絶し、排除しようとする」
「でも、神は違う。すべて受け入れてくださる」

本当にそうだなあ〜と思います。残念なことに、手話の世界もそう。
それって、イヤだなあ〜と思います。
自分とは違う人を排除しようとする人を見ると
「ちっちぇえなぁ(><)」と思います。

愛情を持って、人に接することのできる人に、なりたいなあ〜と思います(*゚▽゚*)iPadから送信

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