4月28日 母が神様のみもとに旅立った日
私は、ほとんど仕事でした。
9月に池田書店さんから出版する手話の本の原稿を、
今週中に編集者さんにお送りするために、
深夜2時とか3時とかまで原稿を書く日が続いていました。
さてGW期間中の4月28日(月)は大好きな母が
神様のみもとに旅立った日でしたので、
月曜日でしたがお休みにさせていただき、
青山霊園にお墓参りに行きました。
亡くなって最初の3年間は、お墓参りに行って
「都立青山霊園」と書いた碑を見ただけで泣いちゃいましたが、
時間薬というのでしょうか。
13年経った今では穏やかな気持ちでお墓参りできるようになりました。
母はうつ病の他に脊柱管狭窄症で歩行困難になり車椅子生活となりました。
亡くなるまでの2年半は要介護4で、私は自宅で1人で介護をしました。
その前には要介護5の祖母を引き取り、やはり自宅で亡くなるまでの
2年間介護をしていましたので、合計4年半の自宅介護でした。
正直言って、毎日毎日朝から晩まで下の世話をするのは大変でした。
寝ている間に粗相をしてパジャマや寝具を汚してしまうことがないように、
最後におむつを交換するのは午前2時。
朝は息子のお弁当を作るので午前5時起きでしたので毎日睡眠時間は3時間。
ある時は、汚い話で恐縮ですが、深夜におむつを交換しようと
おむつを開けた瞬間にどうしようもない睡魔に襲われ
そのまま私は眠り込んでしまいました。
気がつくと母のおむつを開けた状態のところで私は爆睡していまして、
すでに30分経っていました。
「うわー、お尻丸出しで寒かったでしょう。ごめんね。
起こしてくれればイイのに」
私がそう言うと、母は
「たこがあんまり疲れてて、可哀想で起こせなかったの」
と言っていました。
自宅での1人介護はキツかったけれど、【介護しなくてイイ】と言うことは、
イコール【母が亡くなる時】ですので、それを望むことはいけないことと思っていました。
父のことで心を壊しながらも私や息子を守ってくれた母への恩返しのために、
どうしても自宅で最期までみようと決めていました。
母が車椅子生活になってしまったことは残念ではありましたが、
そのおかげで亡くなるまでの2年半はどこに行くのも常に一緒で、
母に寂しい思いをさせることがなくて良かったなぁと今では思います。
私の友人で、テンダー手話教室に通ってくださる方が、
毎年母の命日を覚えて綺麗なお花をくださいます。
母もどんなにか天国で喜んでいることでしょう。
「人は2度死ぬ」と言う話を聞いたことがあります。
一つは物理的な死。これは誰にでも訪れる死です。
そしてもう一つは、その人のことをみんなが忘れてしまった時が
2度目の死。
それによれば、母はまだ心の中で生きているのでしょう。
iPadから送信
Posted in 日記 | No Comments »
コメントを残す