母 博子の誕生日、そして
私のお友だちで、テンダー手話教室にも通ってくださる方が、
母の誕生日を覚えて、素敵な花束とお菓子を持ってきてくださいました。
良かったね、博子ちゃん。
(私は母のことを、名前で呼んでいました)
生きている間は辛かったけれど、
亡くなった後も愛されるのは、とても素敵なことです。
どうもありがとうございます。
母も喜んでいると思います。
それから数日後。
早稲田大学エクステンションセンターでの講義を終えて、
テンダー手話教室でのオンラインレッスンのために急いで教室に戻る途中。
最寄りの駅に接続しているビルの地下で、お肉や野菜を買いました。
急いで1階に上がろうとエスカレーターに乗ったら。
私の数メートル先に、父がいました。
父の姿を見るのは十数年ぶりです。
精神科のお医者さまから
「実父と会うことはPTSDのフラッシュバックを引き起こすため、
危険と判断する」という診断書が出ていて、
父と会うことを禁じられているからです。
髪は真っ白で髭も伸びていましたが、元気そうな足取りでした。
その時、私の頭に真っ先に浮かんだのは
「なんで、まだ生きてるの?」
母と私を苦しめた父は元気に生きていて。
苦しんだ母は12年も前に急逝している。
いったい、なんでなの⁇
それから、父が怖くてたまらない気持ちが蘇り、
帰りのバスではずっと泣いてしまいました。
そばに立っている乗客の人がずっとこちらを見ていましたが、
フラッシュバックが起こってしまうと涙が止まりません。
幼い頃からいろいろ辛いことがありましたが、
私が一番怖かったのは、私が妊娠5〜6ヶ月の頃。
胎動を感じるようになって、お腹の赤ちゃんが愛しくてたまらなかった頃。
父が私に暴力を振るい、母が私のことを身体を張って守ってくれて。
でも今度は父が母に暴力を振るい、押さえられなくて、
110番通報した時の修羅場が蘇ってしまいました。
結局その日は夜10時まで泣いていました。
いつまでも父に怯えている、弱虫な自分を恥じました。
でも、それから日にちが過ぎて、心が落ち着きまして。
私は自分が生まれた境遇を嘆いたりしません。
もしまた父に出くわしたら、また泣いてしまうかもしれません。
それでもしっかり顔をあげ、真っ直ぐ前を向いて生きていく。
そう決めました。
天国の博子ちゃんに心配をかけたくありませんから。
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