「わたしの目には…」
24日と25日の2日間、大学で、高校生向けの説明会の手話通訳を担当しました。
それから急いで自分のテンダー手話&日本語教室で、授業をしました。
昨日は、高齢者施設の見学。
今日は、障害者施設の見学の手話通訳を担当しました。
大好きな祖母が亡くなって以来、お年寄りにお会いするのは久しぶりです。
私は、【要介護5で、寝たきりの祖母】の介護を2年間。
【要介護4の母】の介護を、2年半行いました。
祖母も母も、亡くなるまで認知症にはならず、頭がハッキリしていました。
なので、知らない人=ヘルパーさんに下の世話をされるのはイヤだと、断固拒否でした。
私は、祖母にものすごく恩があります。
父のDVで、荒廃した家庭で育った私がグレなかったのは、祖母のおかげです。
私に神様を教えてくれたこと。
「たこちゃんは、本当に可哀想ね。でも、必ず、神様は守ってくださるからね」
そして、「艱難辛苦(かんなんしんく)、汝を玉にす」
その言葉があったから、グレないでこられました。
なので、大好きな祖母が【要介護5】になった時。
「今が、祖母に恩返しする時だ!」
そう思って、ウチに引き取って、亡くなるまで2年間、介護をしました。
毎日の、下の世話。
正直、「助けて〜」って思うこともありました。
当時は結婚していて、家事・育児・仕事・うつ病の母の世話➕介護、でしたので。
でも、オムツを替えるたび、「たこちゃんに、こんなことさせてゴメンね」
そう言って泣く祖母の依於子(いおこ)ちゃんの姿に、心が痛みました。
「依於子ちゃんは、私が赤ちゃんの時に、オムツを替えてくれたでしょ?だから、私が今、オムツ替えるのは、当たり前なのよ!」
そう言うと、祖母はいつも泣いていました。
認知症になっていない人が、下の世話をしてもらうことへの心理的負担が、どんなに大きいか、よくわかりました
それは、母も同じこと。
私がオムツを替えるたびに、「ゴメンなさい」と言って、涙を流していた、母の姿を思い出しました。
祖母と母の介護で、毎日朝から晩まで下の世話をしていた4年半は、正直とても苦しかったです。
でも、祖母と母の介護部屋には、世の中とは全く違う、時の流れがありました。
何て言えばいいのか…
汚濁にまみれた世の中の時の流れとは、全く違う。
「小春日和(こはるびより)」のような、ゆったりとした独特の時の流れがありました。
介護を受ける身になり、はた目には「世話をされるだけで、何もできない身」に見えるかもしれません。
でも、決してそんなことはないんです。
私は、祖母と母の介護をして、一見私が一方的に世話をしているように見えるのですが、そうではないんです。
私は、私がオムツを替えてきた、祖母と母の2人から、たくさんのことを受けました。
今日、手話通訳をした、障害者施設のスタッフさんが、全く同じことをおっしゃっていました。
手話通訳をして、手話指導をして、それからお昼を食べたのは、午後4時46分でした。
でも、祖母と母の介護をした日々を思い出す、いいきっかけになりました。
「私の目には あなたは高価で尊い」
(イザヤ書43章4節)
聖書の言葉を、思い出しました。
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