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テレビでは「大雪」と盛んに言っていて、どうなるかと思いました。
でも無事に、教会の礼拝のお説教の手話通訳が終わりました。

私は2004年10月から、教会で手話通訳をさせていただいております。
当時を考えると、どんなに下手だっただろう…と赤面してしまいます。

牧師さんが「今日は小学生と一緒の礼拝ですので、『混雑して』申し訳ありません」とおっしゃったのを、
「小学生と一緒の礼拝ですので、『気色悪くて』申し訳ありません」と手話表現してしまったり(>_<) 私は真面目なクリスチャンではありません。 ここ数年は、礼拝をお休みして、仕事を優先してばかりです。 でも、根っこに信仰があったから、母も私も、父のDVに苦しみながらも、まっすぐに生きてこられたのだと思います。新しい家を買って引っ越して、1カ月が過ぎました。 「お母さんとの思い出の、いっぱいあるおうちを手放すのは、寂しいでしょう」と、よく言われます。 でも、あの家での思い出は、母の涙や父のDVで警察を呼んだことなど、悲しい記憶ばかり。 なので、母の思い出の品物をいっぱい持って、母と一緒に今の家に引っ越しました。 家の中に暴力がないって、なんて幸せなのでしょう。 このうちに引っ越して、私は初めて自分の家が、安らげる場所となりました。 新しい家の前には、『必殺仕事人』に出てくるような祠があり、その前には1537年に創建された神社があります。 北海道ではホワイトアウトで大変な思いをしている方がたくさんいらっしゃると思います。 どんなにか大変なことと思います。 でも、少量の雪はとても素敵です。 家の前の祠に、雪が積もって、うっすらと薄化粧しています。 雪は素敵。 その下の、汚いもの・汚れたものを覆い隠して、清らかに白くしてくれます。 人は、幾つになっても生き直せる。 祠の屋根の雪を見て、改めて、そう思いました。 iPadから送信

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