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祖母のイオコちゃんが天に召された日

昨日6月14日は、私の大好きな祖母のイオコちゃんが亡くなった日です。
6年前の2004年6月14日午前0時19分でした。今年は亡くなった時と曜日が同じ、日曜日でした。
「苦労のデパート」と言えるほど、苦労続きの人生に終止符を打った、その同じ時間になった時、パソコンで資料を作っていた私は涙が止まらなくなりました。
福山雅治の「道標」という歌をご存知でしょうか?日本テレビのニュース番組「ZERO」のエンディング曲です。

♪私は この手が好きです。ただ 毎日をまっすぐ 生きて 私たちを 育て 旅立っていった あなたの この手が好きです♪

これを聞くと祖母のイオコちゃんのことが思い出されて、やっぱり泣いてしまいます。

私が今あるのは、イオコちゃんのおかげ。私がグレなかったのは、イオコちゃんのおかげです。

私が物心ついた時から両親の仲が悪く、ケンカが耐えませんでした。特に小学校6年生の頃からは、一段とケンカが激しくなり、夫婦ゲンカを止められずに私がパトカーを呼ぶこともしょっちゅうでした。
そのうち両親は家庭内別居を始め、私は平日は母と、土日は父と食事を食べていました。兄弟がいないので、両親の不和を一人で背負わなけばなりませんでした。
それでもグレなかったのはイオコちゃんのおかげなんです。
「たこちゃんは本当に可哀想だけど、神様が見ていてくださるからね。必ず神様が守っていてくださるからね!」そう言ってくれたから、父の女から電話がかかってきても、母が恋人を作ってしまってもグレないですんだのでしょう。

超頭が良くて、四谷にある双葉(本当は難しい漢字なのですが、携帯なので変換できません(>_<))を一番で卒業して東京女子大に入り、明治生まれの女性にしては珍しく、結婚は考えずに「仕事を持って生きよう!」と国語の先生になるのが夢でした。 ところが実業家だったイオコちゃんのお父さんが事業に失敗して東京女子大2年生の時に大学を辞めさせられました。 その後も苦労の連続でした。亡くなるまで「大学を辞めないで、国語の先生になりたかった」と言っていました(;_;) でもそんなに頭が良いのに、決して偉そうにしないで、ものすごく腰の低い、そしてオッチョコチョイで可愛い人でした。 ワンピースのファスナーをあけたまま伊勢丹に行って、店員さんに締めてもらったり(笑)、ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースを人だと思って挨拶したり(笑) 本当にカワイイ人でした。 「虎は死んで皮を残す」こんな言葉ありましたよね?今、出先なので調べられないんですが(^。^;) 人は死んで何を残すのでしょう。 どれだけ高価なものを持っていたか、とか、どれだけブランド品を身につけていたかとか、そんなことじゃないですよね。 その人の生き方や人間としての品性じゃないかなぁ。 そう思います。 イオコちゃんの孫に生まれて良かったです(*^o^*)

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