☆2009年4月に品川のUDジャパンという会社でスタートした、「手話で行う日本語の文章力向上講座」がUDジャパンの手を離れ、「手話で行う日本語講座」として生まれ変わりました!
手話通訳士と日本語教育能力検定試験に合格したプロの日本語教師、2つの資格を生かして、助詞「は・が・を・に・へ」や敬語の使い方を手話で楽しく教える講座です♪
聞こえない方々が自分の日本語の文章に自信を持ち、社会の中でご自分の力を十分に発揮できるようになることを目的にしています!
諸事情でUDジャパンでは継続ができなくなり、私が「テンダー日本語教室」として引き継ぎました。
記念すべき第1回が、
1月7日午後6時〜8時
ダブル・ピー株式会社(旧社名ワールドパイオニア)さんの手話寺子屋教室をお借りして始まりました。
キチンと日本語の文法を学び、日本語文法の専門書を何冊も読んだうえで始めた講座ですから、内容には自信があります。
でも、自分が主催するテンダー日本語教室に替わったとたん、誰も来なかったらどうしよう(∋_∈)と心配しておりました。
第1回の内容は、「主題と主語の違い 『は』と『が』」でした。幸い、まだ松の内にも関わらず6名の方々が集まってくださいました!
ありがとうございます(*^o^*)
オートロックのビルの入り方がわからなくてゴメンナサイ!
次回1月21日(土)は、
午後3時〜5時→1月7日にお休みされた方々のために「主題と主語の違い 『は』と『が』」、
午後6時〜8時→「格助詞1『を』『に』『へ』」
を行います!
また楽しく一緒に勉強しましょうね(*^o^*)
1月2日に家族と一緒に東京タワーへ行きました(*^o^*)
「東京生まれ・東京育ちなのに東京タワーへ行くなんて、ヘンだ。」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
今年は映画「always ‘64」が公開されるので、その影響も、ちょっとあります。
下から250メートルの特別展望台から見る景色は、とても素晴らしいものでした(*^o^*)
私が好きなのは、東京湾と、羽田空港を離陸した飛行機が同時に見える風景です。
大学を卒業して、芝にある長谷工コーポレーションに就職したとき、私が所属する経営企画室は19階にありました。エレベーターホールでエレベーターを待っているとき、いつも窓からは東京湾と、羽田空港を離陸する飛行機が見えました。
「こんなビルの中にいないで、自由に生きたい!」
窓の外の景色を見ながら、いつもそう思っていたことを思い出しました。
特別展望台から外を見ると、「ちっちゃいことなどどうでもいい!」
そういう気持ちになります。
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)が、なんぼのもんじゃい!」
悩んでいたことを忘れて、そう思えるほど、ちっちゃいことが気にならなくなりました。(本当はちっちゃいことじゃないけど(^_^;))
下に降りてきて3階に行くと、手相占いをしていました。私は「ぜひ見てもらいたい!」と思いました。
優しくてキレイな先生が見てくださいました。
まず言われたのは、「中途半端なことはキライで、やるならとことんやるでしょう。」
「ハイ、そうです!(なんでわかるんでしょう?)」
「仕事をバリバリやる線が出ている。一生仕事をやることになるかもしれません。」
「何か困ったことが起きても、必ず誰かが助けてくれるという、四角い線が出ています。」
先生に言われたことは、ひとつひとつ納得できました。
一番驚いたのは、「右手の人差し指には2重、左手の人差し指には1重の『ソロモンの輪』があります。『ソロモンの輪』は、願いを叶える線です。」と言われたことです!
『ソロモンの輪』って聞いたことがあるので、ビックリしました。
ここ数年、大変なことばかりだったので、そう言っていただき、とても嬉しかったです(*^o^*)
うちに帰ってインターネットで調べたら、『ソロモンの輪』はとても珍しいのだとわかりました(◎o◎)
これからクジけそうになったら、人差し指の付け根を見て、頑張ろうと思いました。
皆さんの人差し指の付け根はいかがですか?
2012年(平成24年)が始まりました!
皆様はどんなお正月をお迎えでいらっしゃいますでしょうか?
元日はお祝いのお膳を食べてから、必死に年賀状を書いていました。
年末は忙しくて、どうしても年賀状を書く時間がなくて、年が明けてから書くことになってしまいました(>_<)
本当にゴメンナサイ。
遅くなってしまいましたけれど、相手の方々のことを思い、心を込めて書いています。
遅くなってしまいますけれど、お許しいただければ嬉しいです。
嬉しいこと(*^o^*)、悲しいこと(T_T)、ビックリすること( ̄○ ̄;)…
1年の間にはいろいろなことがありますが、年賀状を見ると、改めて自分は多くの方々に支えていただいているんだなぁ…と感謝の気持ちでいっぱいになります。
皆様にとって幸せいっぱいの1年となりますように、心からお祈りしております。
私にとっては、昨年7月のテンダー手話教室開校に続き、今年は1月からテンダー日本語教室まで開くことになりまして、自分でもビックリしています。
でも2009年3月から始めた「手話で行う日本語の文章力向上講座」は大切な講座です。
UDジャパンさんのご都合で続けられなくなったからといって、途中で止めることはできません!
一人で2つの教室を運営することに不安もありますが、神様のみこころに叶うことであるなら、必ず神様が守ってくださると信じています。
皆様、テンダー手話教室とテンダー日本語教室をぜひ可愛がってくださいますよう、お願い申し上げますm(_ _)m
「心機一転」辞書によると、「気持ちを切り替えてスッキリすること」と書いてあります。
来年の私はまさにこの言葉の通り、「心機一転」して、「笑顔で前に進もう!」と思っています。
今、美容院で鏡の前に座っています。
美容師さんが用意してくださった雑誌の星占いを見ています。
普段そんなに星占いを気にはしないのですが、「鏡リュウジさん」という方が監修している、この占いのページを見てビックリ( ̄○ ̄;)
私は10月13日生まれの天秤座です。
天秤座の欄には「人間関係の好変がたくさん見られる’12年。仕事運と金運は上り調子。長年の試練が終わるなど、嬉しい変化が。足を引っ張る相手からも解放されそう。」
と書いてありました!
うわぁい!ヤッタ―(*^o^*)
「長年の試練が終わる」とは、なんて素敵な言葉でしょう(^_^)v
でも、どんな試練も自分の糧に替えていける人間でありたいと思います。
占いに一喜一憂することは、どうかと思われる方もいらっしゃると思いますが、やっぱりとても嬉しくなりましたo(^-^)o
髪もサッパリして、来年1月の成人式の通訳に備えたいと思います(^o^)/
12月の始めに父から手紙が来ました。
しばらく怖くて開けられなかったのですが、思いい切って開けてみると、自分のマンションにくるようにと書いてありました。
でも私は去年の7月に父のマンションに行って怖い思いをしたので、とてもじゃないけれど行くことはできません。
母が鬱病(うつびょう)で30年以上お世話になっていたお医者さまに相談したとき、今の私の状態を考えると心理的負担になることは望ましくない、と言われたので、私はそのことを書いて、返事を送りました。
ところが神様のいたずらか、先週の木曜日に手話通訳から帰宅途中の電車の中で、父にバッタリ遭遇してしまいました。
1年5ヶ月ぶりです。
そのとき手紙を渡されました。さらに一昨日の夜にも私宛ての手紙が届きました。
私はまた過去の様々な記憶がフラッシュバックして苦しくなりました。お医者さまから、「心理的負担になることは望ましくない。」と言われ、過去の辛い記憶を思い起こすきっかけとなる父に会うことを禁じられていると書いたはずなのに、どうしてそっとしておいてくれないのでしょう。
追い詰められている気がして、またまたフラッシュバックに苦しむようになりました(;_;)
ピーコックでおつかいしていても涙が出るようになりました。
「このままでは良くない。フラッシュバックをなんとかしないと。」と思い、昨日の朝、インターネットで病院を探しました。
私が相談にのっていただいた母の主治医の先生は、体調を崩してお医者さまの仕事を辞めてしまいました(>_<)
その後いろいろ病院を探しましたが、なかなか良いところが見つからず困っていました(>_<)
先週行った吉祥寺の病院は、私が一生懸命お話をしている最中に、「次の患者さんが待ってますから。」と途中で打ち切られてしまい、ガッカリしました(>_<)
昨日行った荻窪の病院の先生は女医さんで、お会いしたとたん、先生のお優しい笑顔を見て、心が癒やされる気がしました。
今度は話を打ち切られることもなく、丁寧に真剣に話を聞いてくださいました。
診断の結果は、やはりPTSD(心的外傷後ストレス障害)でした。フラッシュバックは、もう治らないそうです。
先生に私の生い立ちから今までのことをひととおり話し終えると、「木の絵を描いてください。」と言われました。
私の生徒さんたちはよくご存知だと思いますが、私はとても絵が下手です(^_^;)
「絵が下手でもいいですか?」と言ってから、木の絵を描きました。
すると先生は私の絵を見て、「足元をすくわれたって感じですね。あなたは誰にも頼れず、一人で頑張ってきたでしょう。」と言われました!
ビックリ( ̄○ ̄;)
まさにまさにその通りなんです!
幼いときから母が暴力をふるわれるのを間近で見てきたので、母というのは「甘える対象」ではなく、「私が守らなければならない対象」でした。
さらに祖母も叔母も辛い思いをしてきたのを間近で見てきたので、いつも「私がしっかりしてみんなを守らなけきゃ。」と思って大きくなりました。
その状態が、木の絵に表れていたようです。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)はもう治らないけれど、でも私のことを理解してくださり、私が安心して涙を流せるお医者さまが見つかって、本当に嬉しかったです!
神様、木村先生、本当にありがとうございますm(_ _)m
先週の土曜日12月24日は、クリスマスイブでした。
皆さま、いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は24日の午前中、母を連れて教会の礼拝に行きました。
母が車椅子になってしまってから、なかなか連れて行ってあげられなくなったので、母が教会に行くのは久しぶりのことでした。
教会の方々がとっても温かく母を迎えてくださって、本当に嬉しかったです(*^o^*)
そして、母と一緒に吉祥寺でお昼ご飯を食べてから、一度家に帰りました。母のオムツ交換や食事の準備などして、夕方6時に家を出て、改めてもう一度教会へ。
教会の「聖歌の夕べ」に出席するためです。聖歌隊の皆さんの美しい歌声を聞きながら、この1年間に思いを馳せていました。
この1年間大変なことがいろいろありました。
この1年、というより2005年1月からの7年間、ずーっと大変でした。
かつて大手航空会社に勤めていた従姉妹が退職後、躁鬱(そううつ)病になって、2005年1月に自殺を図りました。私は従姉妹を入院させ、今後従姉妹が働けなくても、なんとか生活できるように市役所の地域福祉課に通い、高額医療費立替払い・通院医療費公費負担・国民年金免除・生活保護・障害年金など、できる限りの手続きをしました。
従姉妹の父親は、従姉妹が幼いときから妻子を捨て、愛人と生活していました。でも、いくら家族を捨てたとはいえ、実の父親なのですから、働けない従姉妹の援助をしてもらえないかと思い、私は思い切って何十年も会ったことのない叔父に電話しました。
すると叔父は「なんで俺が面倒を見なければならないんだ!心配なら隆子ちゃんが勝手に面倒みりゃいいだろう!」
そう言って怒鳴り、電話を切りました。
それで私は「従姉妹のことは、私が頑張って世話をしよう!」と心に決めました。従姉妹の住むところを探し、保証人にもなりました。
2007年には、従姉妹の母である、叔母が亡くなりました。
旦那が愛人を作り、娘とも絶縁状態で、辛い人生を送った叔母でした。叔母を見送った後、私は従姉妹の成年保佐人になりました。
しかし、3年前、その従姉妹との間でトラブルが起こりました。
その後、裁判にまで発展しました。裁判費用の工面に四苦八苦していたとき、17年前に母と離婚した父と、食事を共にする機会がありました。
裁判の話をしたら、父が自ら「離婚したとはいえ、自分が死んだら隆子しか相続する人間はいないのだから、裁判の費用は自分が立て替える。」と言ってくれました。
私はさんざん迷った末、弁護士さんの勧めにより、好意に甘えることにしました。
でもそれからが大変でした。
父は私を呼んでは母の悪口を言い、母に対する怒りや憎しみを私にぶつけて気持ちを晴らすようになりました。そのような状態が3ヶ月続き、だんだん私の心は、辛くて限界が近づいてきました。
そして昨年7月、父のマンションに呼ばれたとき、父がキレて逆上して手がつけらない状態になってしまいました。幼い頃からお酒に酔って母や私に暴力をふるったときの父の姿、そのままでした。私はマンションから逃げました。
それ以来、私は忘れようとして封印していた辛い記憶が次々にフラッシュバックして苦しむようになりました。
父が暴れて母を殴っている姿。
自分が殴られて転がったときの床の感触。
夜中に酔って帰った父が、雨戸を外してガラス戸を叩き割って家に入ってきて怖かったこと。
そのときに母がガラスの破片で大ケガをしたこと。
私が息子を妊娠中に、「おまえのお腹の子どもなんて、死んだってなんだって構わない。」と言って殴られたこと。
私をかばった母が殴られている姿。
警察官が4人駆けつけてきたこと。
などなど、様々な情景が蘇りました。
私がクリスチャンになったときに「父を許さなければいけない。」と思って、無理やり忘れようとして封印したことが一気にあふれてきました。
聖歌隊の美しい歌声を聞きながら、今までのことが次々に蘇り、特に「聖夜(O HOLY NIGHT)」を聞きながら、号泣してしまいました。
過去の辛い記憶は、無理して忘れようとしても忘れられるものではないと思いました。
「家政婦のミタ」みたいですが、過去に辛い記憶がある場合は、完全に記憶を捨てようとすると、私のようにあとから反動が来て苦しむのでしょう。辛い記憶や環境と、どうやってうまく共存していくか、自分で探っていかなければならないんだなぁと実感しました。
もし、このブログをお読みの方々で、私のようにPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む方がいらしたら、一緒に頑張りましょうね。
全部書いてスッキリしました。暗い話でゴメンナサイ(>_<)
また明日からは笑顔で頑張ります。
12月18日(日)テンダー手話教室のクリスマスパーティーのあと、片付けをしてうちに帰ってから、イトーヨーカドーへ買い物に出かけました。
「遅くなったので、夕食を食べて帰ろう!」ということになり、カレーうどんで有名な若鯱屋さんへ行きました。
どれにしようか迷った末、私はミニサイズのカレーうどんと、ミニサイズのネギトロ丼と、エビサラダのついたセットにしました。
「カレーうどんはミニサイズでもトッピングができる」ということを聞いて、私は大好きなエビフライを追加注文しました。
しばらくして料理が運ばれてきました。すると、私の大好きなエビフライが1本載ったお皿が、なぜか息子のカレーうどんのお盆の上に…
「アレ!私のエビフライが…」
そう思ったとたん、息子が大笑いしながら、
「エビフライが、こっちのお盆に載ってたからって、そんなに寂しそうな顔すんじゃねーよ!」
ひぇ〜、鋭い(°□°;)
私の気持ち、息子に完全に読まれてる(-o-;)
このあと、さんざん家族の笑いものになったのでした(^_^;)
12月18日(日)に、テンダー手話教室初めてのクリスマスパーティーを開きました(*^o^*)
テンダー手話教室は、今年7月11日(月)に開校したのですが、教室が入っているビルのオーナーが昨年亡くなり、誰がビルを相続するか決まってないそうです。
ご遺族から「誰が相続するか決まるまで、新しい看板は出さないでほしい。」と言われているので、いまだに看板が出せず、モグリみたいで悲しいです(;_;)
でもクリスマスパーティーには、ろう者8名と聴者10名の総勢18名の方々が集まってくださいましたo(^-^)o
自己紹介、会食、ろう講師のパフォーマンス、ゲーム、手話で歌う「きよしこの夜」などをおこないました(*^o^*)
みんなの笑顔がいっぱいで、とっても嬉しかったです(^_^)v
小学校3年と幼稚園の2人のろうの男の子のちっちゃい手から繰り出される手話が可愛いかったです(^O^)
次回は春にやりますので、またぜひご参加くださいね!!
2011年も残すところ、半月あまりとなりました。
本当に早いですね(ToT)
先ほど、「手話で行う英文ビジネスメール講座」の仕事が終わり、品川駅から山手線に乗ったところです。
時刻は23時45分。もうすぐ日付が変わります(@_@)
先日、毎年恒例の今年の漢字が発表されました。
東北大震災という未曾有(みぞう:今までに一度もなかったこと)の大災害が起きてから、よく言われるようになった「絆(きずな)」でした。
納得された方も多かったのではないでしょうか?
さて、皆さん個人の「今年の漢字」はなんだったでしょう?
私にとっての「今年の漢字」は「忙」です。
新しい仕事が増えて、本当に忙しかったです(>_<)
2009年から始めた「手話で行う日本語の文章力向上講座」の他に、3月からは「手話で行う基礎英語講座」、7月からは「手話で行う英文ビジネスメール講座」、同じく7月からは「テンダー手話教室」が開校し、9月はアトレ吉祥寺で「手で話そう!」のイベントを行い、また来年6月公開の映画「外事警察」の中で手話通訳を行うという仕事をしました(*^o^*)
10月は千葉県にある千葉敬愛高校の文化祭で講演を2回行いました。
また、11月には立教大学体育会応援団の創部80周年記念式典の司会と国際シンポジウムの手話通訳があり、次から次へといろいろ新しいことにチャレンジする機会をいただき、感謝です(*^o^*)
本当に忙しい1年だったので、「忙」としました。
でも、本当は「睡」でも良かったのかも。
いつでもどこでも、トイレでも電車でもバスでも、パソコンのキーボードの上に顔を載せたままでも、爆睡してしまいましたので(^_^;)
今年の平均睡眠時間は3〜4時間でした。
徹夜が3日間続いたことも\(☆o☆)/
「忙しい」という字は、「心を亡ぼす(ほろ-ぼす)」と書くそうです。
どんなに忙しくても、心は失わずにいたいです。
優しい心・思いやりの心・愛する人たちを守れる強い心。
そして、人に媚びることなく、堂々と「悪いことは悪い!」と言える真っ直ぐな心を!
「人に媚びることなく、堂々と『悪いことは悪い!』と言える真っ直ぐな心」を持った人と言えば、私の頭の中にはアニメ「銀魂」の銀ちゃんが浮かびます。
私も、ああなりたいなぁと思います(*^o^*)
先週の土曜日のドラマ「妖怪人間ベム」の続きです。
先週の内容は、父親が母親に暴力を振るう家庭に育った男の子の話でした。
その男の子は母親と助け合って生きてきたのですが、母親が爆発事故に巻き込まれて亡くなってしまいます。
成人した男の子は、不幸な境遇のまま亡くなった母親の無念を晴らそうと、他人を装って父親に近づきます。
息子と名乗らずに父親と話をしているとき、父親が「自分はかつて妻と息子を捨てた。なんてバカなことをしたかと思う。」
と話しました。
それを聞いて、息子は父親に対する憎しみを打ち消そう、許そうと努力します。
ところがそのあと息子は偶然、父親がよその人に「さっき息子が訪ねてきたけど、迫真の演技をしてやったよ。」
と、鼻でせせら笑っているのを聞いてしまい、怒りに震え、復讐しようとするのです。
私の子供の頃から続いた家庭の状況と重なる部分が多くて、見ているうちに心臓の鼓動が早くなり、息が苦しくなりました。そして感情のコントロールができなくなり、涙が止まらなくなりました。
自分が幼い頃から続いた、父が母に暴力を振るっている姿や、自分が殴られたときのこと、私が息子を妊娠中に「お前のお腹の子どもなんて死んだってなんだって構わない」と言われて殴られたこと、母が間に入って「この子のお腹には赤ちゃんがいるんですよ!赤ちゃんに何かあったらどうするんですかっ。」ってかばってくれたら、今度は母が殴られたこと、駆けつけと警察官に父が「お前ら全員クビにしてやる」と怒鳴っている姿…などが次から次へと鮮やかに蘇ってきました。
私は1998年12月にクリスチャンになったとき、「父のことを許そう。辛かったことは、すべて忘れよう!」と心に決めて、過去の記憶を封印しました。
ところが昨年の夏、以前と同じように父がキレて、手がつけられなくなって、父のマンションから逃げてきた日以来、過去の体験のフラッシュバックに苦しむようになりました。
家でテレビを見ていて、過去の体験がフラッシュバックして苦しむだけなら、まだいいのです。
でも、手話通訳のときだと困るんです。
講演会や大学の講義、礼拝のお説教などの通訳をするときに、「ドメスティック・バイオレンス」とか「酒乱」という言葉が出てくると、心臓がバクバクしてきて、涙を抑えるのに必死になります。
やっぱり、このままじゃいけない。
なんとか治さなくちゃ、と思います。
実は、数日前に父から手紙が届いたのですが、怖くて開けられず、玄関に置いたままになっているんです…