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叔母の境遇を思う

今日は、朝早くから手話通訳の仕事がありました。今、終わってホッとしているところです(*^o^*)

実は25日(金)以来、午前3時前に寝ることがないので、超眠いです(ToT)

うちは本当にトラブルの多い家系(?)でして、昨年は私が成年保佐人をしていた躁鬱病のいとことの間でトラブルが起こり、家を競売にかけられそうになりました。

今年は私の母の姉の元夫(私の叔母の元夫)と母の間で決着をつけなければならないことがあり、そのことでバタバタしています。
叔母の家庭は、夫婦とは名ばかりで、叔母の夫は結婚当初から愛人を作り、以来40年間家を出て愛人のもとで暮らしていました。

叔母は私の小さいとき、よく私に「たこちゃん、私の子にならない?」と言っていました。
きっと寂しかったのでしょう。幼い私はそう言われるたびに「本当はお母さんの子のままでいたいけど、叔母さんの子になるのがイヤと言ったら叔母さんを傷つけてしまうことになる。なんと答えればいいのだろう!?」と小さい胸を悩ませていたことを思い出します。

私が大人になってからは、不幸な境遇の叔母の力になりたいと、入院の付き添いをしたり、叔母を呼んで母と3人で叔母の誕生日を祝ったりしていました。

ところが2007年の夏、叔母は誰にも看取られずにひっそりと亡くなり、遺体で発見されました。
武蔵野警察署に母と遺体を引き取りに行って以来、母と私の心には「肝心の最期のときに、叔母に何もしてあげられなかった(∋_∈)」という悔いがずっと残っています。

だからこそ、今回、叔母の不幸な人生のもととなった元夫と母との決着がつくように、全面的にバックアップしなければ…と思っています。そのための準備で毎晩遅くまで起きています。

ちなみに叔母の元夫は、叔母が亡くなるやいなや「待ってました!」とばかりに、愛人と入籍しました。叔母の気持ちを思うと悔しくなります。

私は2005年に躁鬱病のいとこが自殺を図ったときに、そのことで、いとこの父親である、叔母の元夫に電話をしました。
そのときに愛人が出て、あまりに偉そうな態度だったので、
「あなたは愛人のクセに、なんでそんなに偉そうなんですかっ!?」と叫んだことがあります。

その後、叔母の元夫から、すぐに反論の電話がかかってきました。
「隆子ちゃん、なんで『愛人』なんていうんだ!」
「愛人に『愛人』って言って何が悪いんですか!?」

小さいときから、不幸な叔母を見て育ったので、怒りがおさまらなかったのです。

あれから6年が過ぎました。

年を重ねても、自分が幼い頃からお酒を飲んで暴れた父が許せず、愛人を作って40年間も愛人と暮らした叔母の元夫(『叔父』と呼びたくないので、『叔母の元夫』と呼んでいます)とその愛人が許せない私は、クリスチャンとしては本当にダメな存在だなぁと痛感しています。

「敵を愛し、迫害するもののために祈る」ってことが、私にはできそうにありません(;_;)

そのうえ、『必殺仕事人』がダーイスキだし…

神様ごめんなさいm(_ _)m

ダメダメクリスチャンの私ですが、不幸な境遇のまま生涯を終えた叔母の分まで、明るく元気に暮らしていきたいと思います。

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