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礼拝でお説教で赤裸々に語りました

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25日(土)は、千葉県の袖ヶ浦教会にお招き頂いて、午前の礼拝と午後の賛美歌礼拝でお話をさせて頂きました。

半年前からご依頼があったのに、あいにく前日から台風の影響でお天気がよくなくて、新宿ハルク前9時20分発の高速バスに乗ったのですが、東京湾アクアトンネルの前まで来たら通行止め(°□°;)
そこから引き返して、迂回して袖ヶ浦へ行きました。アクアトンネル通行止めのことは、バスの運転手さんのところへ無線が入っていなかったようです。

前日は一睡もしないで徹夜でお話の準備をしたのに、どうなるのかしら?
呼んでくださった袖ヶ浦教会の方々にもご迷惑がかかってしまうし…とハラハラしました。

ちょうど1時間遅れで袖ヶ浦バスターミナルに到着。
礼拝は11時?12時なのですが、教会に着いたのは、11時40分!
教会に入り、椅子に腰を下ろそうとしたとたんに、牧師さんから「登壇してください。」と言われ、すぐに20分ほどお話をさせて頂きました。

タイトルは「幕末から平成へ 時代を超えて」
「私の子供時代の修羅場のような家庭環境。そんな中で私に神様を教えてくれた祖母のこと。
さらにその祖母も『苦労のデパート』と言えるほど苦労続きの人生で、その祖母に神様のことを教えてくれたのは祖母の祖母の琴子だった。その、祖母の祖母の琴子(ひいひいおばあさん、と言って良いのでしょうか)は幕末の嘉永元年の生まれながら、敬虔なクリスチャンで、横浜の教会の英語の通訳をしていた。幕末生まれの琴子によってまかれた信仰の種は、時代を超えて平成の世を生きる私の中に息づいている。」
このような内容です。5年ほど前にも、確か長野県で礼拝の時にこの話をさせて頂いたことがありました。
ただ、今度と明らかに違うのは、非常に苦しかった子供時代の話を赤裸々に語ったということです。
例えば、小学校5,6年頃から両親が非常に不仲になり、小学校6年の時には「あのような家庭に、隆子ちゃんを置いておくのは心配。」と言われて、夏休み中、友達の家で過ごしたことや、中学2年の時には私ではなくて母がグレてしまい、父の怒りの鉾先が私に向いてしまったこと。
中学3年の時には、ほぼ毎週のように日曜日になると父がお酒を飲んで暴れ、抑えられなくて110番通報して警察を呼んだことなど。いつも同じお巡りさんが来るので恥ずかしかったこと等々。
それぞれの年に何が起こり、私がどう感じたかをお話しました。

1998年に私がクリスチャンになってからは、何とかして父を許さなくてはいけないと、過去に父がお酒を飲んで暴れたり、暴力をふるったことを全て封印して、忘れようと努力してきたこと。

「これで父を許せた 。私はクリスチャンになって、許せるようになったんだ!」と、ちょっぴり誇らしく思っていたら、今年の7月に父から手紙が来て、便箋5枚にびっしりと母の悪口と、幼い頃から母の側についていた私に対する悪口が書いてあり、それを見てから父を許そうとした気持ちが音を立てて崩れてしまったこと。そして、こんな自分がお礼拝で、皆さんの前に立ってお話してよいのかと、とても悩んだことを、全て率直にお話しました。

すべてを飾らず、ありのままにお話したことが良かったと、皆さんから言って頂きました。
そして、「鈴木さんは、本当にツラい思いをしてきたけれど、その経験は意味がありましたね。この教会には家庭内暴力や親との関係に悩む人が何人もいるので、その人たちにとって力になったと思いますよ。」

そう言って頂いて、今まで「何で私ばかり、こんな思いをしなければならないんだろう。どうしてここまで両親の不仲のとばっちりを受けるんだろう。両親が不仲なのは私の責任じゃないのに、なんでこんなにイヤな思いをしなければならないんだろう。」
ずっとそう思って育ちましたが、今、初めてその意味がわかった気がしました。

午前中は荒れた天気だったのに、午後は美しい晴天になりました。

アクアラインも再開し、帰りのバスの中から見た海は、とてもキレイでした(*^o^*)

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Posted in 日記 | 1 Comment »

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